閉幕から半年、
いちばん覚えていたこと
大きな映像より、
小さな景色のほうが、家まで連れて帰れた。
閉幕から、もう半年が過ぎた。テレビで何度も見たはずの大屋根リングや空撮の映像は、不思議なくらい、頭から遠くなってしまった。代わりに、写真フォルダのなかで生き残っている景色がある。誰かが手で書いた案内。夜になって光り出す館の名前。並ばずに通り過ぎた赤い壁。半年経って思い出すのは、有名な展示よりも、こうした小さな景色のほうだった。
ニュースで見た景色は、
思ったほど残らない。
閉幕の翌週まで、テレビはほぼ毎日、夢洲の映像を流していた。空撮、噴水、開会式、フィナーレ。あれだけ繰り返し観たのに、半年経った今、はっきり覚えている大型館は意外と少ない。記憶って、こんなにあてにならないんだな、と少しがっかりするくらいだ。
代わりに鮮明に残っているのは、テレビが映さなかった景色のほうだった。2025 年 7 月、カナダナショナルデーの夜。光の広場〈雲のステージ〉に、ギターとバイオリンを抱えた二人のカナダ人アーティストが立った。曲名はもう思い出せない。それでも、背後の大屋根リングが照明でゆっくりオレンジに染まっていく数分間と、観客のスマホがいっせいに持ち上がった気配だけは、いまも頭に残っている。
あとで知ったのだが、〈雲のステージ〉は、何も起きていないときはただの板敷きの広場でしかない。何かが始まった瞬間、急に広場ごと客席に変わる。万博でいちばん覚えているのが、いちばん飾りの少ない舞台だった——というのが、半年経って気づいたことのひとつだ。
「またね」を、
書けなかった日。
閉幕間近の会場の真ん中に、ミャクミャクの大きなメッセージボードが置かれていた。「大阪・関西万博の想い出を、ミャクミャクに教えてね」。クレヨンで描かれた輪郭の上に、ピンクのマジックで「またね」。小さな子の落書きの横に「家族と来られて よかった」。一周してみると、ことばより絵が多くて、絵より沈黙のほうがずっと多かった。
自分はマジックを手にしたまま、3 分くらい立ち尽くしていた。半年通った数百枚の写真と、何時間ぶんの待ち時間を、たった一行に詰めるのは難しい。結局、何も書かなかった。代わりに、同じように手を止めていた知らない大人と目が合って、二人でなぜか笑ってしまった。
書けなかった「またね」は、こうして半年経ったいま、ようやくこのページの上に書かれている。
派手な映像より、誰かが手で書いた一行のほうが、なぜか家まで連れて帰れた。
オマン館の、
赤い壁の前で。
閉幕も近い土曜日、雨上がりの夢洲を歩いていたら、灰色の空を背景に、赤い壁の塊がぬっと立っていた。看板にはアラビア文字で「عمان」、その下にローマ字で「OMAN」。事前知識ゼロで足を止めた来場者の色とりどりの傘が、赤い壁にそって横一列に並んでいる。なかに入る前から、ここは記憶に残るな、と思った。
あとで調べて知った。オマーンにとって、赤は「力」を表す色なのだという。中央回廊の天井をうっすらと水が流れていく仕掛けは、伝統的な灌漑水路「ファラジュ」を写したものだった。砂漠の国にとって、水は資源ではなく「いのち」そのもの——そのことを、建物全体が静かに語っていた。
外に出ると、屋外ガーデンにイチジクとザクロの木。並び疲れた来場者がベンチに座っていた。館に入らなくても、座れる場所だけは、ちゃんと用意してある。半年経って覚えているのは、展示そのものよりも、その「迎え方」のほうだった。
派手じゃない国の、
小さな展示の話。
派手な映像も長い列もない国の展示が、半年経っていちばん心に残ったのは、たぶん偶然じゃない。
島嶼国のブースに置かれた、たった一艘の伝統舟。その横に堂々と並ぶ輸出品のチョコレートの箱。蜂と花の関係を、六角形の木の棚と短い説明だけで語っていた「FLOWERS FOR BEES」。ガラス越しにしばらく足を止めるしかなかったカーニバル衣装の羽飾り。どれも 10 分かからずに通り過ぎられる規模だ。それなのに、思い出そうとすると、写真を撮った角度まで覚えている。
説明文が短くて、自分で読み解くしかない展示ほど、あとからじわじわ効いてくる。
「待ち時間 2 時間半」。 A3 一枚の手書きで、その日の進路が決まった。
オーストリア館の前に立ててあった、A3 一枚の手書き案内。マジックの太字で「待ち時間 2 時間から 2 時間半」、下のほうに走り書きで「お急ぎの方は…」。その紙を一目見て、自分は「並ばない」と決めた。
並んでいたら見られたかもしれない展示の輪郭は、半年経った今ではもうほどけている。それなのに、踵を返したあの 0.5 秒だけは、はっきり覚えている。あの A3 一枚は、見たいものを選ばせる案内ではなく、見ないものを選ばせる、静かな道しるべだった。
「完全予約制」の三文字に、
足止めをくらった日。
別の館の前で、自分はもう一度足を止めることになる。紫色の枠の案内板に、印刷された定型のサインが貼ってあった。
「電力館 可能性のタマゴたち は 完全予約制
By Reservation Only」
手書きではなく、きちんと整った書体。だからこそ余計に、そこには人間の体温がなく、静かな拒絶だけが立っていた。
「予約がない方はご入館できません」。
その短い注釈が、その日の自分の行動方針になった。
並ぶ。
待つ。
あきらめる。
万博を歩く時間の半分は、たぶんこの三つを繰り返していた。けれど不思議なことに、入れなかった場所の前ほど、自分はカメラを構えていた。見られなかったものの気配だけを、せめて持ち帰ろうとしていたのかもしれない。
並ぶ。待つ。あきらめる。
なんだ、万博って、少し人生に似ている。
半年経って写真を見返すと、入れなかった日のほうが、よく歩いていた。
小さなサインに、
いちばん時間を取られた。
オランダ館の片隅に、白い紙に黒い文字で、こう貼ってあった。「修理 再利用 生き残る/REPAIR REUSE SURVIVE」。横には小さく「ACTIVATING Common Ground」。誰かが筆ペンで直書きした線が、テーマパーク的な万博のなかで一瞬、寺の張り紙のように見えた。
別の場所、北ホール「WASSE」の外。万博会場最大のイベント施設で、会期中は数々のパフォーマンスで来場者を楽しませていた。そのひさしの下のデジタルサイネージに、こう表示されていた——「本日のイベント/Today's Events/北ホール/North Hall/本日イベントの実施はございません」。なにも起きていない日に、なにも起きていないことを、わざわざ告知する画面。誰も読まないかもしれない真面目さに、自分はちょっとくらっと来た。
万博の本気は、観客がいない瞬間にも、ちゃんと動いていた。自分にとっての展示室は、たぶん、あのサイネージの前の数歩だった。
夜になると、夢洲は
別の街になる。
昼間ただのテントの群れにしか見えなかった建物が、日が落ちると、風船のように内側から光り出す。電力館「可能性のタマゴたち」の白い六角ドーム。月の手前に、縦書きで「電力/可能性の/タマゴたち」の三行が浮かび上がる。昼に入れなかった日の続きが、外側の壁の上だけで、静かに始まっていた。
目を上げると、大屋根リングの階段にも、夜の景色があった。昼間ただの通路だった段差に、観客がびっしり積み重なる。その下の広場では、別のリズムで人が流れていく。昼の夢洲と夜の夢洲は、自分のなかではもう、別の街として記憶されている。
夜は、来場者を「観客」から「住人」に変える時間でもあった。日中、予約の時間に追われて走り回っていた人たちが、ベンチで足を投げ出し、誰かの撮影に巻き込まれて笑っている。喫煙所の前では「どこ並んだ?」が挨拶代わりに飛び交っていた。あの頃の夢洲の記憶は、なぜか昼より、夜のほうが多い。
建物と人が、
ちょうどよく写る瞬間。
大阪ヘルスケアパビリオンの内部、上に伸びる螺旋階段の前で、自分は何分か立っていた。曲線の木の壁に、「ミライのヘルスケア 2」「人生ゲーム REBORN in 2050」の文字。スタッフが小さく案内を出し、来場者の頭が手すりの向こうにちらりと覗く。建物が壮大でも、人がちゃんと負けていない構図——半年経って、自分にとっての万博の縮図みたいに思える 1 枚だ。
PASONA NATUREVERSE の前では、家族連れの列の横にアトムが座っていた。1952 年生まれの「未来の少年」は、半世紀越しの今もちゃんと未来側の顔をしていて、いまの家族写真と同じフレームに収まる。並ぶ親と、抱っこされたまま寝てしまった子ども。未来館の隣で、ちゃんと現在が続いていた。
別の国のナショナルデーの夜、屋外ステージに紫の照明が降りた数分間も、同じ感触だった。曲名はもう忘れた。それでも、観客のスマホがいっせいに持ち上がって、客席の体温が一段あたたまった、あの数分だけは手のひらに残っている。万博は未来の博覧会だったけれど、自分が覚えているのは、未来の前で立ち止まる「いまの人たち」の姿のほうだった。
会場の真ん中に、
いちばん静かな場所があった。
会場のへそにあたる「静けさの森」、そのまんなかに〈森の池〉があった。直径 20 メートルほどの円い水面を、万博記念公園や淀川河川敷から移植された木々がぐるりと取り囲んでいる。どこから歩いても辿り着けるはずなのに、なぜか人の通りは薄い。
世界の話をたっぷり浴びた一日の終わりに、自分の足が自然と向いたのは、誰も看板を出していなかったこの一角だった。観たショーでも入った館でもなく、ベンチで木立を眺めた数分のほう。半年経って、いちばん静かに思い出すのはこの景色だ。来場者ひとりひとりに、たぶん「自分だけの隅」が、会場のどこかに一つくらいあったんじゃないかと思う。
閉幕した日より、半年経った今のほうが、夢洲は遠くて、近い。
ミャクミャクは、
最後まで立っていた。
閉幕日が近づいた夢洲に、青と赤の塊が一体、ぽつんと置かれていた。台座には「いざ未来!大阪・関西万博 10.13」の白い文字。雷雲が近づく夜空の下で、ミャクミャクはまだ、終わりのほうを向いていなかった。胴体の上の細胞のような目玉たちは、雨に濡れて少し艶を増していて、そのほうがむしろ生き物らしく見えた。
終わったあとに残るのは、たぶん展示そのものじゃない。誰かが手で書いた一行、A3 一枚の手書き案内、印刷された三文字の拒絶、夜にだけ灯る館の名前。そして、雷雲の下でまだ立っていたミャクミャクの目玉。
あの半年に夢洲で起きたことは、ちゃんと、誰かの記憶に分散して保存されている。あなたの写真フォルダのなかにも、もう、その小さな景色はいくつも残っているかもしれない。
半年後に、もう一度見たくなった景色。
本文で語りきれなかった小さな寄り道も含めて、写真フォルダから半年後の自分が選び直した一覧です。タップ/クリックで拡大できます。